キハ5000形
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鉄道コレクション キハ5000形 レビュー
鉄道コレクション キハ5000形 レビュー

(当記事はブログに掲載した記事に修正を加えたものです)

2011年7月15日、「鉄道コレクション・小田急キハ5000形」が発売された。他の鉄コレのようにトミーテック製だが、企画は小田急(TRAINS)なので、小田急公式グッズとして発売されている。価格は2,300円と安い。

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鉄コレというとブラインド販売が基本だが今回はパッケージ製品。小田急の鉄コレでは2200形旧塗装以来となる。パッケージは紙+ブリスターという簡単なものだが、モノクロ仕様の写真が郷愁を誘う。

実車は筆者が生まれる前の1968年(昭和43年)に引退しており、乗ったことも見たこともない車両である。実車は引退後、茨城県の関東鉄道(常総線)に譲渡・改造されて1988年まで活躍していたが、当時は縁のない地域だったのでやはり実車知らずである。この車両が関東鉄道で解体されてから20年後の2008年、筑波サーキットでクルマ壊して初めて関東鉄道を利用する機会が巡ってきたわけですが(宗道→守谷まで利用、そこからはTX)、さすがに遅すぎたようだ。

ちなみに、関東鉄道に譲渡された後の車両はブラインド販売版(第13弾)で製品化されている。

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キハ5001とキハ5002の2両セット。

●製品概要

実車はキハ5000形のほか、改良型のキハ5100形というのもあり、それぞれ2両づつの計4両が存在したが、今回は前者からキハ5001、キハ5002をプロトタイプとした2両セットとなっている。登場時はダークブルーに窓周りがイエローという当時の小田急の標準塗装だったが、後にクリーム色に細い赤帯に変更されており、前面の窓枠がHゴムで保持されるようになった晩年期の姿でモデル化されている。

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セット内容は車両2両(キハ5001+キハ5002)のほか、他の鉄コレと同様にディスプレイ用のレールが付く。また、ヘッドマークなどが収録されたステッカー、別売りの動力ユニットに取り付ける台車レリーフも1両分付属。

鉄コレはディスプレイ用として割り切った設計になっているため、車輪はプラスチック製だったり動力がなかったりと、そのままでは走らせることができないが、車体自体は1/150で設計されているので、別売りの動力ユニットや車輪を購入・交換することで簡単に「Nゲージ化」できるという特徴がある。また、価格が安い割によくできているので、改造や工作の素材としても最適であり、達人になると完成品顔負けの仕上がりになることも。

●製品レビュー

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実車がないのでなんともいえないが、書籍類の写真と見比べる限りは良くできているのではないだろうか?塗装については購入層で実車を見たことがある人間のほうが少ないと思うので(写真は褪色などがある)、特に問題のないレベルだと思う。鉄コレなんだから、不満ならIPAに突っ込んで塗りなおせばいいわけで。


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この車両は単行(1両)運転も行っていたことから、「車両の両端が前面」の両運転台となっている。左(御殿場寄り)・右(新宿寄り)でジャンパ線や表記類の有無などをきちんと作り分けている。安価な鉄コレとはいえ、こういう点を妥協していないのはエライ。ただ、窓のHゴムはちょっと太すぎな気も。また、晩年期だとすると、本来は左の御殿場寄りには幌枠があるが省略されている。

他の鉄コレ同様、ヘッドライト、通過表示灯、テールライトは塗装表現のみで点灯はしない。


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キハ5001の上が山側、下が海側。キハ5000形は客用扉が片側1つしかないが(小田急特急車の伝統でもあるが)、扉が対角線上に設けられているため、どちらに裏返しても側面が同じパターンというユニークな設計。

車内のシートと側面窓のピッチが合っていないが、実車は当初非常に狭いシートピッチが不評で、改良型のキハ5100形で改善されたのをきっかけに、キハ5000形もシートピッチの拡大が行われたが、窓はそのままだったのでずれてしまったわけだ。時系列的にはシートピッチ拡大→塗装変更となるので、新塗装である当製品ではピッチが揃っていないのは正解。

キハ5000形の車体長は20500mmと21m級であり(ツインエンジンが要因と考えられる)、これは歴代の小田急車両の中で最も長い。一方、車体幅は2620mmで、こちらは最も狭い(事業用車は除く)。それゆえに、この車両は非常にスマートに見える。

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乗務員扉直後の窓には、単線の御殿場線向けに「タブレット防護柵」という格子が車体からはみ出した形で取り付けられていたが(車体幅が狭い原因はこれ)、この製品では窓側にモールド+印刷で表現されている。実車同様に外付けにしたらエッチングで表現するくらいしかないから、ここはやむを得ないところか。銀河モデルとかから細密化パーツ、出るんですかね?

反対側の客用扉にも柵はあるが、こちらははみ出していないのでモールドでも問題ないと思う。鉄コレなのに「乗務員室」の印刷もあって、芸が細かい。


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屋根上はベンチレータやランボードなどが屋根板と一体のモールドで表現されていて、典型的な鉄コレ仕様である。楕円の穴がモールドされている部分はエンジンからの排気口(だと思う)。なお、この車両は気動車なのでパンタグラフはない。


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連結器はアーノルドカプラーとダミーカプラーが標準装備されている。もちろん、TNカプラーなどへの交換も可能だ。


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標準状態ではキハ5001が新宿寄りに来る形で連結できるようになっている。連結間隔は広いが、鉄コレとしては標準的。TNカプラーにでも交換すれば短縮できるはずだ。


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床下には側面から見える機器類のほか、それに挟まれて2つのエンジンも表現されている。


●総評

小田急の鉄コレ製品はこれまで何度か出ているが、当製品は小田急(TRAINS)の肝いりのためか、鉄コレにしては細かい部分まで良く出来ていると思う。もちろん鉄コレならではのチープさがあることも否めないが、その分価格が安いわけで、妥当な線だろう。これはNゲージではないのだ。とはいえ、基本部分はしっかりできているので、動力等を組み込んでのNゲージ化はもちろん、塗装を剥がしてさらなる細密化に挑むなど、改造や工作の素材としても高いポテンシャルを持っている。

キハ5000形のような現在のユーザにはなじみが薄い車両(乗ったことも見たこともない)は、高価になってしまう本格的なNゲージではリスクが高く、なかなか製品化されないのが実情だ。その点、安価で気軽にもヘビーにも楽しめるという商品特性の鉄コレは、古い車両との相性がいいのかもしれない。実際問題、小田急に限らず鉄コレのラインナップに古い車両が多いのはそういうことなのだろう。

こうなると、3000形「SE」以前のロマンスカー(1700形、2300形など)も鉄コレで出ないかと期待してしまう。編成も3〜4両と手軽なので、是非製品化を!!

●おまけ・実車について

小田急は現在でも60000形「MSE」が「あさぎり号」として御殿場線に乗り入れているが、今回のキハ5000形は御殿場線乗り入れに使われた最初の車両である。

御殿場線はかつての東海道本線で、箱根超えが困難な時代に箱根の山岳地帯を避けるように、神奈川県の国府津から静岡県の沼津まで、谷に沿って迂回するようなルートで建設された。それでも勾配が多い山岳路線であり、蒸気機関車時代はかなり苦労したそうである。後に丹那トンネルが開通して東海道本線は海沿いの小田原・熱海を経由するようになり、大幅なショートカットを実現。旧線は複線から単線化され、「御殿場線」というローカル路線となった。現在でもトンネルや橋梁などに、複線だったころの遺構を見ることができる。

東海道新幹線も小田原・熱海経由で建設されたと考えると、裏ルートに取り残されたような御殿場線であったが(東名高速道路は御殿場線のルートに近いが)、戦後、箱根登山鉄道への乗り入れが実現し、箱根へのメインルートを確立することができた小田急が、新たなルートとして箱根の北側にある御殿場に着目、当時の国鉄御殿場線に小田急からの直通列車を走らせることとなった。新松田駅付近で両線が交差しているため、小田急線新松田駅の手前から、御殿場線の松田駅に接続する連絡線が建設され、そこから乗り入れできるようにした。この連絡線は「あさぎり号」のほか、現在はJRを経由しての新車などの搬入にも利用されている。

ところが、当時の御殿場線は非電化であり、開業時から電化されていて、電気で動く車両しかない小田急にとっては大きな問題となった。そこで、乗り入れ専用の気動車(ディーゼルカー)を制作して対応することになり、それが今回扱ったキハ5000形である。とりあえず2両が制作され、1955年(昭和30年)から運転を開始した。御殿場線の勾配対策として、2基のディーゼルエンジンを搭載しており、当時では最先端の気動車だった。歴代の小田急車両で気動車はこれだけで、今後も登場することはないだろう。

キハ5000形のシートは固定クロスシート(ボックスシート)だが、当初はシートピッチが非常に狭くて不評だったらしい。後に改良型のキハ5100形が2両増備されたが、シートピッチが拡大され窓の配置も若干変わった。キハ5000形もシートピッチ拡大改造を受けたが、窓配置は変わらなかったので窓とシートのピッチがずれてしまったというのは前述したとおりだ。

その後は塗装の変更や、2両連結時に対応する幌の取り付けなどが行われながら4両が活躍していたが、1968年(昭和43年)の御殿場線電化に伴い、3000形ロマンスカー「SE」を改造した「SSE」が御殿場線乗り入れ車両の任に就くこととなり、キハ5000・5100形は引退した。引退後は茨城県の関東鉄道に譲渡され、客用扉の増設とロングシート化改造を実施、キハ751形・キハ753形を名乗り常総線で1988年まで活躍していた。

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歴代御殿場線乗り入れ車両、見参!手前からキハ5000形、3000形「SSE」、20000形「RSE」、JR371系。60000形「MSE」は製品がないのでご勘弁を・・・

キハ5000形の時代では御殿場線内の扱いは準急だったが、3000形「SSE」では急行に格上げ。御殿場線が国鉄からJR東海に移り、1991年からは運転区間を御殿場から沼津まで拡大、車両も20000形「RSE」にバトンタッチ。小田急から一方的に乗り入れる形態から、JR東海も車両(371系)を制作し、相互乗り入れになり特急に格上げされた。

しかし、近年は御殿場線内の利用率が低迷、20000形「RSE」もバリアフリー法に対応できないといった問題を抱えていたことから引退を余儀なくされた。そして、2012年から運転区間を御殿場までに縮小、60000形「MSE」が後継の任に就くこととなった。鉄道は利用客がいなければ始まらないという基本に立ち返れば、縮小もやむなしか。乗り入れそのものがなくなったわけでない分、まだマシなのかもしれない。


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